7月31日  朝


パールが旅立ちました。

わたしが出勤する30分前のことでした。


廊下で寝転がってたパールがくぅ~と甘えたような大きな声をあげたので、「どうしたの」と近寄ると、すこしして、ひきつけがはじまりました。

まるまったかと思ったら腕と足をぴーんと伸ばして、呼吸があさく、頭をうしろにそらしたり、腕をバタバタさせたり。

わたしは名前を呼びながら「苦しいね、苦しいね」と撫でることしかできませんでした。

そういった一連のうごきが止まり、ハッハッと呼吸をしたかと思うと、もう一度、腕と足をぴんと伸ばして、ふっと息をはいたような気がしました。

今思えば、それがパールの最期だったと思います。

はっきりしたことは分かりませんが、時間としては数分だったかと思います。


どこかで痙攣発作は複数回起こることがあると読んだこともあり、この時点ではまだ生きていると思っていたわたしは、パールを抱き抱えて何度も名前を呼びました。

でも、パールの目が何かを見ているようで、何も見ていない。

もう一度パールを床に寝かせて、胸や顔に耳をつけて心臓の音やら、呼吸やら、パールが生きている証拠を探そうとしたけど見つかりませんでした。

抱き抱えてみたり、床に寝かせて胸に耳をつけてみたり、泣きながら何度かそんなことを繰り返していたと思います。

治る見込みがなく苦しく辛い闘病生活が続くくらいなら、いっそのこと早く楽になったほうがいいのかな、なんて考えたこともあったけど、実際にそういう情況になると現実を受け入れることができませんでした。

まったく力の入っていないパールを抱き抱えてしばらく声をあげて泣きました。 


亡くなる前日の夜、水を飲もうと立ち上がったパールがころんと倒れました。
ふらふらで歩くこともままならない状態でした。

それなのにちゃんとトイレでおしっこをして、最期までおりこうな猫でした。

この一ヶ月間、いつどうなってもおかしくない状況で、でもパールをおいて出掛けなければいけなくて。

できることなら一人で死なせたくない。

ずっとそう思っていました。

出勤時間の30分前に大きな声でわたしを呼んで、ほんとうに最期の最期までおりこうな猫でした。

1歳7ヶ月とまだまだ若いのに、SUBシステム手術に急性白血病に病気続きで気の毒な猫でした。
最期の一ヶ月はとくに辛かったと思います。動けず苦しかったと思います。よくがんばってくれました。

病気は不運だったけど、うちにきて幸せだったって思ってくれてるかな。

そうだといいな。



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うちにきた日のパール。子猫のパール。



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