今さらではありますが、ちゃんと記録として残しておきたいので書きます。
書くことによって自分自身の気持ちの整理がつくんですよね、不思議なことに。
アウトプットするために思い出そうとする=記憶と向き合う=パールの死という現実と向き合う、これが案外良いことなのかもしれません。
亡くなる前日のパールです。
生前のパールの最後の写真となってしまいました。
ガリガリだけど、あいかわらずかわいい仕草&顔してます。
7月27日の記事にも書きましたが、26日と27日、パールはすこしだけ元気になったんです。
それまでのパールは寝てばかりだったんですが、この2日間はうろちょろしたり、ごはんもわりと食べてくれて。
「今日は調子よさそうだね」なんて話してましたが、それも長くは続かず。28日にはまたいつものパールに戻ってしまいました。
エンジェルタイムという言葉を思い出し、なんだか嫌な予感がしていました。
7月29日。亡くなる二日前。
帰宅して愕然としました。
寝てばかりなのは変わらないけど、あきらかに反応が弱くなってるような。
この日は夫が休みだったのですが、ごはんもほとんど食べてくれなかったそうです。
また一段階悪化したな、もう長くはなさそうだな。
悲しいけれど、わりと冷静にそう思いました。
7月30日。亡くなる前日。
帰宅してパールの様子を確認。前日に引き続き反応が弱い。ごはんも食べていない。
パールを抱えてごはんの前に座らせると、すこしは食べてくれてたんですが、この日はもう自力で座ることすらできず。もちろん食べることもできず。
水を飲もうと立ち上がってころんと倒れてしまったパールを見て、涙が止まりませんでした。
具合が悪くなってからは下駄箱の下がお気に入りの場所だったようで、ふらふらになりながらも、そこを目指して歩いていくパール...
貧血で熱なんかなさそうなのに、冷たいところがいいのね。
人間二人も玄関に座り込みパールの様子を見守っていました。
わたしが近づくと全力でゴロゴロいってくれるパール。離れるとゴロゴロが止まるそうです。涙が止まりません。
この日はまったく眠ることができませんでした。しょっちゅう目が覚めてしまう。
パールは夜中のうちに玄関から廊下へと移動してました。
様子を見に行くと、顔をあげてゴロゴロいってくれる。
シリンジで水をのませ、しばらく撫でては、寝るを繰り返してました。
7月31日。
明け方4時半頃までは近づくと顔をあげてゴロゴロいってくれてたのに、6時頃になると顔をあげることをしなくなりました。
呼びかけても眼球が動かない。かすかにゴロゴロは聞こえる。この時にはすでに意識が朦朧としていたのかもしれません。
動けなくなった状態でもう二三日もってくれるのかな、そうなるとオムツが必要かな、、もしくはもう限界かな...そんなことを考えていた矢先のことでした。
痩せ細った体で限界までがんばってくれました。
パールに出会ったときは10年、15年、ひょっとすると20年とか、そういった長い期間を一緒に過ごせると思ってたのに、ただただ残念でなりません。
でも最期までがんばってくれて、最期まで甘えてくれて、根性のある、かわいい自慢の猫でした。
たくさんの思い出をくれたので、その思い出を活力に、飼い主は前を向いて頑張れそうです。